何故バカになるのかを知るために「バカの壁」を読む #読書の記録(72)

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はじめに

「ああ、この人、頭悪いなぁ」

「会話している時間が無駄だから、話したくないなぁ」

って思う事が、最近結構あった。

結構、メンタルもそれでやられてしまったところもあったので、何か対策しないとなーと思っていたところもあって、この本を読みました。

養老さんの「バカの壁」。

平成のベストセラー本である。

「バカの壁」は人がなぜ他人の意見を理解できないのかをテーマにした本です。

そのバカの壁を知っておくことで、バカなのはどちらなのかの線引きをできるようになることが、この本を読んだ目的です。

曖昧な世界に生まれるバカの壁

そもそも、バカの壁とは自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっていることでできる壁です。

大まかな内容は知っているけど、ディティールまで見ていない。

細部には目をつぶって知っていると言う人間によってつくりあげられた壁。

「わかっている」という思い込みによって本当に理解している人との間にギャップが生まれます。

一方で、世界とは曖昧なものです。

でも、自分たちがモノを知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまって、漫然と「自分たちは現実世界についてたいがいのことを知っている」または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっている人が増えると壁が増えていってしまいます。

その曖昧な世界で、自分の無知を疑うという事は必要なプロセスになってきます。

科学の視点で見ると、反証が必要になってきます。

つまり、「全ての白鳥は白い鳥」と証明するために、たくさんの白い鳥を見つけても意味はなく、「黒い白鳥が存在しない」という厳しい反証にさらされても生き延びられるものこそが科学的な理論になります。

ここでも、知らない世界のほうに視点を向けています。

反証されうる曖昧さが残っていることを認めることです。

さて、ここで世界が曖昧なら、確実なものはなにもないのかという怖さがあるのです。

その恐怖から来る不安定さから人は時にカルト宗教に走る。もしくは走らされる。

ここで大事なのが物事は推測であって、真理ではないという事が大事です。物事を妄信してしまうことは危険です。

個性と共通理解

よく日本の教育であるのが、共通理解というもの。

周りへの同調性というべきか。

一方で、ある一定年齢からは、個性が大事だといい始める。

この問題はよく言われるので、おかしいなって思う人も多いと思います。

この本にもこのことは言及されていて、個性が大事だといいながら、実際には、よその人の顔色を窺ってばかり、というのが日本人のやっていることです。

今の日本もそんな変わっていないのでは?

だけど、人間の脳の意識的な部分では、個人の差異を無視して、同じにしよう、同じにしようとする性質をもっています。

共通性の確保のために、言語の論理と文化、伝統があるわけです。

だから個性を強く持つことが難しくなってくるという訳なんですね。

だけど、これを知っていれば、個性を大事にしろとか共通理解を持てとか、知ったような口をきくことはあまりなくなるんじゃないかと思います。

”情報”は変わらない、”自分”は変わる。

SNSによって情報がかなり溢れかえるような世の中になりました。

ただでさえ世界は曖昧であるのにもかかわらず、嘘か本当か分からない情報が溢れる世の中になっています。

昔の人は流転しないものを情報と呼び、それを錯覚して真理と呼んだそうです。

しかし、不変なのは情報の方で、人間が変化するものです。

現代のような情報化社会において本来日々変化しているはずの自分自身が変化しない状態になることがあります。

これは私といいう自分自身の個性を決めつけることで不変の情報と化してしまうという訳です。

自分を変えていく事、その一つに知るという事があります。

以前とは別の視点を持てる自分になっているという事です。

知るというのことは、自分がガラッと変わる事です。

世界の見え方が変わってしまいます。(それが昨日までとほとんど同じ世界(=情報)でも)

であるならば、良い方向へ自分を変えていきたいなと思います。

だからこそ、曖昧な世界にあるどの情報を知るべきなのかを見極めることが大切になってきますね。

その見極める力を鍛えるために勉強というものが必要になってくる訳ですね。

この本では学問について「学問というのは、生きているもの、万物流転するというものをいかに情報という変わらないものに変えるかという作業」が本当の学問と述べています。

こう学問に対するメタ的な視点があると、学ぶことが楽しくなりますね。

個体・社会・脳で失われたもの

個体とは自分の身体のことを知る事です。

身体を使う事で、自分という対象から個体の学習ができます。

身体を動かすことで学習する。

単に本を読むだけじゃなくて、出力を伴うってことですね。

それは身体そのものを動かさなくて、脳の中で入出力を繰り返すのもありです。

数学の問題を考えるのは、このような脳内の入出力の繰り返しになります。

このことが見過ごされてきたことで、個体で知るということができなくなって、バカの壁ができることになりました。

これは個人の問題です。一方で、その個体は社会に属しています。

社会で見過ごされてきた問題が共同体の問題です。

共同体における理解は共通了解に達しますが、この理解が損なわれているため、共通理解が社会の中で失われています。

最後に脳です。

脳の中で失われたのは無意識です。

僕たちは無意識の存在とその重要性を忘れてしまっています。

この情報の多いごちゃごちゃした世界では意識を向けていないといけなくなります。

そして、寝ているという無意識の状態の重要性も忘れてしまい、大切な時間に意識が向けられなくなります。

バカの壁ができるのはこのような損失が背景にあるのでしょう。

最後に

今回は、学問の哲学書を読んだような気分になりました。

バカの壁を生まないように、学んでいく事が大切だと思いました。

しっかりアウトプットもしつつ、社会の共通理解に目を向け、無意識である時間を大切にしていけば、少しは自分も賢くなれるかもと思えました。

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