2018年11月19日とあるニュースが日本に衝撃を与えましたねー。約20年間日産のトップに君臨したカルロス・ゴーン氏が逮捕されました。しかも、日産側が国家権力を使用して逮捕にまで至ります。
今回の記事は「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」という本を元に書いてます( ´∀` )
日産は繰り返されてきた独裁者の支配という歴史があります。それと同時に社内で勃発する内戦、派閥争い、醜い権力争いを行ってきています。それは権力におぼれた人間が幾らかいたからで、その人間のせいで優秀な人材までも、時間と労力を無駄にする羽目になっているという非常にひどい状況だったわけです。日産の歴史はとても黒いです。本来であればその黒い歴史はカルロス・ゴーン氏が日産に入るずっと前から記す必要があるのですが、今回は1999年カルロス・ゴーン氏が日産の副社長としてルノーから招かれたときからに触れることにします。
先日、箱型バランスシート(以下、箱型BS
)を紹介しました。箱型バランスシートの記事は以下。箱型バランスシートの説明も書いてあります( ´∀` )
そして今回は箱型BSという一つの指標がこの20年間のゴーン氏の栄光と衰退そして日産の私物化による悲鳴が読み取れるかを考えていきます。
物語は1999年に始まります。
当時日産は1999年の3月末までに8000億円の資本注入をしないと倒産は免れない状況にまで追い込まれていました。歴代の役員の驕りによって小さな綻びは傷口はどんどんと大きくなり、大きな改革を行わないと立っているのもままならない状態まで堕ちていたわけです。
そして1999年3月27日、ルノーと日産の提携が正式に発表され、ルノーから36.8%の資本を受け入れ、日産が発行する新株引受権付き社債をルノーが引き受けることなどが決まりました。
日産は欧州の販売金融会社をルノーに売却、これにより日産は8500億円を超える現金を手に入れ、再生への一歩を踏み出しました。
その代わりとしてカルロス・ゴーン氏を経営のトップ級のポジションとして迎え、日産の弱点であった商品企画と財務担当をルノーから派遣される役員が担うことになります。
なんとかぎりぎり首の皮一枚つながったのたわけです。
この時の箱型BSは以下になります。今回は日産の連結決算の貸借対照表でなく、日産単独の決算の貸借対照表の値を元に求めたバランスシートになっています。値の単位は百万円です。
1997年の決算は1997年の4月から1998年の3月の終わりまでの決算になります。1998年と1999年も同様です。
さて、97年と98年は流動資産より流動負債の方が多く、箱型BSでいうところの自動車操業です。いつ債務超過になってもおかしくない綱渡りの状態です。そして何とか1999年の3月のルノーからの資本金のおかげでギリギリのタイミングで1999年のBSは安定経営(純資産はプラスで流動資産は流動負債よりも大きいが、流動資産が負債合計よりも小さい状態)になってます。やっとスタートラインに立てた状態と言えます。
【再生と成長】 ~リバイバルプランと日産180~
リバイバルプラン
ゴーン氏のリバイバルプランは有名で、多くのコストカット、そしてリストラが行われました。所謂、聖域なき改革です。
この中長期経営計画は2000年~2001年で行われ、瀕死状態の日産が驚異のV時回復で復活劇を遂げたことで有名です。
さて2000年と2001年の箱型BSは以下のようになっています。(比較のため1999年も用意しています)値の単位は百万円です。
1999年、2000年、2001年はともに安定経営です。
しかし、安定経営の条件である流動資産 – 流動負債=正であることに関して考えると
流動資産 – 流動負債の値は
- 1999年:211466(百万円)
- 2000年:170648(百万円)
- 2001年:696837(百万円)
と、2001年には大きく伸ばしていることが分かります。
また、成長経営(純資産がプラス。流動資産が負債合計より大きいが、現金及び預金は流動負債よりも小さい状態)の条件である流動資産が負債合計より大きいというところに着目すると
流動資産 – 負債合計は以下のように
- 1999年:-1096679(百万円)
- 2000年:-953429(百万円)
- 2001年:-547976(百万円)
という感じで、少しずつ成長経営の状態に近づいているという事が分かります。経営が回復していっています。
日産180
そして日産180は再生した日産の次の中長期計画(2002年~2004年)で成長を目的とします。
そして以下を目標とし、これら全てを達成しました。カルロスゴーン氏全盛期。彼のその経営手腕を世界に轟かせた時期です。
- グローバル販売台数100万台増
- 営業利益率8%の達成
- 有利子負債ゼロ(自動車記入事業を除く)
箱型BSは以下のようになっていました。比較のために2001年の箱型BSも載せてます。
状態は以下のようになりました。
- 2002年:安定経営
- 2003年:安定経営
- 2004年:自動車操業
あれ?2004年の段階で自動車操業になってしまってます。日産単体では自動車操業なのでしょうか。。。単独決算では綻びが見えています。
【綻び。】2005年~2011年
2005年以降ゴーン氏の過度なリストラが現場の疲弊を招き始めます。ちなみにゴーン氏は2005年にルノーのCEOにも就任し、日産とルノーの両CEOを務めることになります。
2006年冬に生産ラインで流れる車のボディに意図的に傷がつけられていたり、落書きがあるという事件が起こります。現場の教育体質が崩れ始め、数字を求めた考え方からストレスがこのような形となったとが示唆されます。
この時期リコールもする事態も発生していました。
この時期の箱型BSは以下のようになっています。
状態の推移は以下になります。
- 2005年:自動車操業
- 2006年:自動車操業
- 2007年:自動車操業
- 2008年:自動車操業
- 2009年:安定経営
- 2010年:自動車操業
- 2011年:安定経営
自動車操業のオンパレードですね。2009年、一度安定経営に戻ってます。リーマンショックの後にもかかわらずです。実はゴーン氏はリーマンショックの際に再度、臨時のリカバリープランを実施しています。そして、この時も計画を成功させています。コスト削減は得意なようです。つかぬ間のゴーンの活躍です。
【独裁と衰退、そして失墜。】2011~2018年
2013年から単体の決算が無くて連結しか載ってなかったのでこの章からは連結決算の値で見ていきたいと思います。
さて、この期間過剰な人員削減で職場の負荷は高まり、車種削減により販売店は悲鳴を上げていました。
この時期は他の自動車メーカがリーマンショックから立ち直り始めていたのにも関わらず、日産だけ出遅れていました。投資の回収遅れ、商品力の低下、品質管理の失敗(大規模リコールの多発)がその原因として挙げられます。ここでゴーンはこの出遅れに関して責任を役員に向けます。2013年11月決算、2期連続の減益となり、この時、最高幹部の人事を発表します。この時、日産のナンバー2、ゴーンに次ぐポジションである最高執行責任者を更迭。唯一と言っていいゴーンに意見ができる人材をはずすこととなりました。ゴーンの独裁が加速します。
2015年、ルノーの筆頭株主であるフランス政府がルノーと日産の経営統合を目論み動き出します。
2016年、ゴーン、三菱を運よく手に入れます。この時三菱は燃費データの不正発覚により株価が半値近くまで減少。この時、手を差し伸べたのがゴーンです。というよりこの時のゴーンの決断は早く、弱っている獲物を狩っているようでした。34%の出資を三菱にすることで日産の傘下に収めることとなります。
ルノー×日産×三菱によりさらに組織は大きくなっていきましたが、日産内部の不満は膨れていきました。
ゴーン氏は有頂天ではあったものの、それとは裏腹に日産内部には暗雲が広がり、ついに2018年、ゴーンが会社の資金を私的に不正流用していたことが内部告発により発覚します。そして同年11月19日、ゴーン逮捕という流れになります。
この期間の箱型BSを見てみましょう。
連結決算ではすべての年で安定経営でした。そして、成長経営には乗り出せていないという結果です。正直上記のイベントがあったから箱型BSがこうなったということはわかりませんでした。やはりBSを考えるときはお金の流れの視点を持つことが大事なのだと思います。
まとめ
今回は1997年から2019年の日産の決算資料より箱型BSを求めてみました。
日産は箱型BSで見ると確かにカルロスゴーン氏によって一度救われたことはわかったのですが、それでも自動車操業に逆戻りしていました。非常に不安定なのだなと思いますが、そもそも日産はドデカい会社なので倒産はないと思います。そうなったら路頭に迷う人が大勢出て、最終的に日本経済に大きな打撃を与えるからです。おそらく銀行が何とかすると思いますが、過去の失態も含めて銀行がどう出るかは興味のあるところです。
今回の検証の大きな結論は箱型BSではある程度の事はわかりますが、それが株価にどう影響を与えるかはわかりませんし、前提として金の流れや起こった出来事を知っていないと箱型BSだけ眺めても危険か危険じゃないかしかわからないので得られるものは限られます。といっても危険か危険じゃないかを知れる分、いいのかもしれません。
結局のところ箱型BSは状態の目安が分かるので参考にはなるのだと思いますが、金の流れは当然箱型BSだけでは見えないので、金の流れをつかむ練習からすることが大事なのだと思います。