はじめに
普段の生活の中で「自分は大丈夫」感を醸し出している人に出逢う事がある。
「自分の人生は上手くいっている」
「自分の人生は充実している」
という空気感を醸し出している人だ。
SNSでその充実している感をアピールする人もいるだろう。
または自分の生活に満足しているわけではなくて、自分の今ある幸せを大切にしている人でも無くて、周りと比べて自分がいるポジションは上の方だと言わんばかりの人。
学歴、就職先が大手企業、高い年収、、、etc…
絵に描いたような幸せ。
しかし、結局のところそれは確かに「絵に描いた幸せ」なのだ。
いや、もっと正確に言えば「描かれた幸せ」なのだ
描かれた幸せの絵、絵のタイトルは「レール」
日本には「世間」や「社会」や「学校」や「親」によって敷かれるレールがある。
学校と入っているように、日本の学校教育はこのレールになぞれば人生が安泰だと教育をする。
その教育を受け続けて、いざ社会人になった時にふと違和感に気づく。
いや、もっと早い段階で気が付くかもしれない。
正しいと言われているレールの違和感に。
この記事のテーマ、「自分は大丈夫」感を醸し出している人。
そういう人は敷かれたレールの上での勝者だ。
つまり、いい大学にストレート合格で入れたとか。
いい企業に入れたとか。
敷かれたレールの上で成功を掴んだからこそ、「自分は大丈夫」だと安堵し、他人よりは恵まれていると勘違いをし続ける。
というか、このレールという上にいるからこそ、そのレールの中で考えるしかない結果、勝者と敗者という考え方が生まれるのかもしれない。
だが実際は敗者なんていない。
このレールの上で定義された勝者と敗者という枠組みで区別しているにすぎない。
実際、このレールの上では勝者と言われる人でも不幸な人はいる。
僕らはまず、このレールの上での考え方を取り除くべきなのだ。
そして、このレールの上で敗者に位置付けられたと悩んでいる人がいるならもうそんなことで悩まなくていい。
あなたは敗者ではないからだ。
でも、もし、このレールの上にいるが故に悩んでいる人がいるなら是非以下の本を読んでみて欲しい。
「自分は大丈夫じゃない」と感じている人へ伝えたい事
僕は「自分は大丈夫」感を醸し出している人こそ大丈夫ではなく、
「自分は大丈夫じゃない」と感じている人こそ人生を結果的に幸せに生きれると思っている。
だから、自分は大丈夫と思える所を目指さないようにするべきだ。
自分は大丈夫と思えた時点でその人の成長は止まる。
悩み続けてよい。「今の自分でいいのか」と悩み続けるべきだ。
竹原ピストル氏の「よー、そこの若いの」という歌の歌詞にこんなフレーズがある。
よー、そこの若いの
こんな自分のままじゃいけないって
頭を抱えている
そんな自分のままで行けよ
「よー、そこの若いの」
「今の自分でいいのか」と悩み続けることこそ、「自分は正しいのか」と悩み続けることこそ正しいのだと思う。
「自分は大丈夫じゃない」と感じている人は幸せを感じれる
苦しむことの意味とは、悩むことの意味とはどんなことなのだろう。
努力しても努力が報われず、自暴自棄になったり。
そうやってもがいていく事は苦しい。
そんな時は自分は幸せじゃないと思うことだろう。
でも、簡単に努力が報われることが幸せなのだろうか。
幸せは上り詰めた先にあるのではなく、苦労して登り詰めたときに感じるものだ。
つまり、玉座にふんぞり返っている王様が決して幸せだとは限らないということ。
自分は大丈夫だという場所に長くいすぎるとその場所から堕ちることを恐れるようになる。
「何のために」という本にはこう書かれている。
不安がどうしても消えない人は、たくさんの物をもっています。
「何のために」
実際はその場所から離れるだけなのに、「堕ちること」と捉えて恐れるようになる。
懸命に生きていればそれでいい
僕はこのレールの上で勝たせようと教育する大人を心の底から軽蔑している。
関取花氏の「もしも僕に」という歌にこんな歌詞がある
もしも僕に子供ができたら
どんなことを伝えるだろう
【略】
努力はたいてい報われない
願いはそんなに叶わない
それでもどうか腐らずに
でかい夢見て
歩いて行くんだよ
「もしも僕に」より
そしてこんな歌詞もある
人生なんてそうさ
ネタ探し
楽しんだもん勝ち
そういうものだよ
「もしも僕に」より
レールの敗者は本当は敗者ではなくそのレールという世界が誤りだということに気づくチャンスを得られる人なわけだ。
SFみたいだ。その世界のおかしな点に気づいた人。
そういう人からそのレールから自由になっていく。そういう人から幸せになっていく。(こういうSF小説を書いたら面白いかもしれない。)
だから今を懸命に生きるべきだ。
自分が正しいと思うことをしっかり見定めて努力する事。
それができるのは「自分は大丈夫」感を醸し出している人ではなくて「自分は大丈夫じゃない」と感じている人の方だ。