独学は最初はコスパが良く思える
夢をかなえるゾウの第2巻である「ガネーシャと貧乏神」に金無幸子という女性の貧乏神が出てくる。
彼女はコストパフォーマンスをこよなく愛す。
そして幸子さんは世の中のほとんどのものを手作りすることができる。(第3巻「夢をかなえるゾウ3」を参照)
安上がりだから。
何が言いたいかと言うと、おそらくコスパをこよなく愛する幸子さんなら勉強をするときはできるだけ独学するだろうってこと。
図書館で必要な参考書を借りて学ぼうとするだろうってこと。
独学は授業料を払わないから独学で完結できればコスパがよい。
でも、独学とコスパの間にはパラドックスが存在する。
だからこそ独学とは奥が深いのだと思う。
そう、今回は独学のコスパについて考える。
独学を続けているとコスパが悪いと感じる壁にぶつかる
僕が独学とコスパの間にあるパラドックスに気づいたのは愛読書である「独学大全」の以下の部分を読んだときである。
よく長く学ぶことは、それだけ長く自分の頭の悪さに直面し続けることだし、より深く学ぶことは、それだけ深く自分の間抜けさと向かい合うことだ。<中級の壁>を越えて向こうへ進むやつの多くは費やす努力に<見合う>ものが手に入らなくても、他にもっと楽な選択肢があったとしても、もうそれを学ぶことをやめられないバカだとも言える。才能の限界が見えようと、スランプに陥ろうと、若輩者がどんどん自分を抜いていこうと、病気や事故か何かでそれまで得たたくさんのものを失おうと、もうそれを学ぶことなしにはいられないから続けるんだ。コスパの感情ができないからバカだし、繰り返しバカであることを自覚させられるから(謙遜抜きに)自画像的にもバカだろう。だが<中級の壁>を越えて、ずっと先まで行くのは、そういうバカだ。
「独学大全」より
これは独学において<中級の壁>を突破する人はどんな人かを言及した一節である。
たくさん勉強したのに大学受験で失敗した時、自分より努力していない人が自分よりも結果を残した時、独学をすることが嫌になる。
それが、時間をかけていればいるほど、本気で挑んでいればいるほどである。
だけどもそんな事があってもまた続けようと思えた人が<中級の壁>を越えられるのだろう。
もちろん、直ぐに立ち直らなくてもいい。
一度休んでもいい。
独学大全の補足の本である「独学大全公式副読本――「鈍器本」の使い方がこの1冊で全部わかる」にはこう書かれている
挫折は誰もがします。違いは、挫折したままでいるか、あきらめ悪く「いやもう一度」とやり直すか、そのわずかな差です。そのわずかな差を作りだすものの一つが、自分はなぜ学ぶのかという問いの答えを持つことができたかどうか、ではないかと私は考えています。
「独学大全公式副読本――「鈍器本」の使い方がこの1冊で全部わかる」より
独学はコスパが悪いとわかる事こそがコスパが良いということ
努力の末に失敗した学びも含めて独学。
独学に近道などない。
昨日より進むこと。
明日には今日より少し前進する事。
この繰り返しの継続が成長に繋がる。
だから独学はこうやったらうまくいくと言ったテクニックを信奉した人ほど失敗する。
これが独学のパラドックス。
稲盛和夫氏の「生き方」という本にはこう書かれている。
一つのことを飽きずに黙々と努める力、いわば今日一日を懸命に生きる力です。また、その一日を積み重ねていく継続の力です。すなわち継続が平凡を非凡に変えるのです。
「生き方」より
そしてこうも書かれている
継続と反復は違います。昨日と同じことを漫然と繰り返すのではなく、今日より明日、明日より明後日と、少しずつでいいから、かならず改良や改善を付け加えていくこと。そうした「創意工夫する心」が成功へ近づくスピードを加速させるのです。
「生き方」より
継続ができないという人もいるかもしれない。
なぜ、続けようとするのかわからないという人もいるかもしれない。
その答えは「続けた先に見える景色が見たいから」に限ると思う。
独学を続けたからこそ、独学を続けている人を応援できる。尊敬できる。
そうやって、人脈や縁もできていく。そして景色が変わる。
人生はこれの繰り返し。
だから独学を続けるのかもしれない。見える景色を変えたいから。
だから、独学はコスパが悪くても続ける。
その先に見える景色の価値は今コスパが悪いことを続けているものの先にあるものだから。
それを思えば今やっているコスパの悪い独学はコスパは良いコスパってことになる。