はじめに
今年はポケモン30周年の年。
僕がちゃんとゲームに触れたのはポケモンからだった。
それから任天堂のゲームはたくさんプレイしてきた。
子供の頃はよくゲームをしていたけど、子供の頃と比べてものすごくプレイ時間は減った。
ポケモン30周年だからこそ、任天堂の本をしっかり読んでみた。
任天堂はこれまで、アイデアで多くの驚きを僕らに提供してきてくれた。
同時に、プレイするユーザーのことも考えた設計で商品を提供してくれる。
そのアイデアがどう生まれているのかの秘訣を知ろうと思う。
ハード機器の特徴
この本が出たのが2009年。
この時出ていたニンテンドーのハードはWiiだった。

この本は2009年ぐらいまでの任天堂を知れる。
それまでにはさまざまなハードが登場していたが、Wiiというか、ニンテンドーDSあたりからゲーム機としては特殊な機能が付いていた。
64
ロクヨンの誕生の背景にはPlayStation(以下PS)の登場がある。

PSではグラフィックが3次元で表現されている。
この時は3次元のゲームハードの競争があった。
PSの発売の1年半後の1996年6月、高い性能持つモンスターハード「NINTENDO 64」が発売される。(今から30年前、初代ポケモンが発売された年でもある)

ロクヨンはPSの4倍と言われる圧倒的な処理能力を持つ。
しかし、これによりソフト開発の作業量と期間が爆発的に伸びてしまった。
ロクヨンを上手く乗りこなせないソフトメーカーは次第にPS専属へと変っていく。
ゲームキューブ
ロクヨンの反省を糧に「ドルフィン」というコードネームで開発が進められていたハードが「ニンテンドーゲームキューブ」だ。
ゲームキューブの設計は、性能のピーク値を上げるよりもソフト開発者がゲームを作りやすくすることが優先されて、2001年9月に発売された。

ニンテンドーDS
2002年ごろ、ゲーム離れが起きていて、ハードの出荷額は上昇しているが、ソフトの出荷額は減少しているという状態だった。
でも、PS2(PlayStation 2)は売れていた。

当時のPS2はなぜるれたのかと言うと、39,000円とゲーム機としては高額だったが、DVD再生プレイヤーと比較すれば、半額から3分の2程度。さらには昔のPSのソフトも遊ぶことができるから。
そんな時、岩田さんは「我々は声が大きくていっぱい買ってくれる人の姿をつい見てしまう。そこに合わせたモノづくりをどんどんした結果、ゲームをやる人が減っているのではないか」と考えていた。
ゲームをやりたいからゲーム機を購入はしていないと考えていた。
据え置き型のロクヨンとゲームキューブは不振だったらしい。
ゲームキューブを良くプレイしていた僕からすれば、本当にそうなのか?と思ったけど。
しかし、携帯型ゲーム機はゲームボーイが強かった。
なぜならポケモンがあったからだ。
その影響もあって、後続機のゲームボーイアドバンスもライバルを圧倒した。
しかし、携帯ゲームでは成功していたが、そもそも据え置き型であっても携帯ゲームであってもゲーム離れが起きていたので、新しい何かが必要だった。
そこで、普通の人々の生活にも関係のあるテーマを選ぶことで、ゲームを時間の無駄と考えてしまう人も振り向かせようとした。
そして携帯型ゲーム機にタッチペンを使うというアイデアからニンテンドーDSが生まれる。

Wii
Wiiは当初「お母さん至上主義」の基、開発が進められた。
子供がゲームすることを家族の中で最も毛嫌いする可能性のあるお母さんに目を向けている。
Wiiは当時のライバル機であるPS3、Xbox360に比べるととても小さい。
邪魔にならないし、発熱も少ないから音もうるさくない。
ゲームが売れなくなったということから技術を追うのではなく、今までとは異なる方向へ技術を使う。
Wiiはゲームを起動すると、ゲームのメニュー画面を見せず、ゲームソフトの枠を大きくするわけでもなかった。
他のメニューと並列に扱うことにした。
これは、ゲームソフトに興味がない人に向けたメニューもちゃんと見せたかったからだ。
ーーー
任天堂は面白いゲームを作るために、試作を重ね、時に捨てて、柔軟に対処していく面もある。
1つのテーマについて、長くしつこく考え続けることが大切だ。
Wiiでは、高精細の映像美を競う事を辞め、あえて一世代前の描画性能を選択した。
ライバル機のPS3とXbox360はハイビジョン音放送並みのHD画質だった。
Wiiの映像は前世代のゲームキューブやPS2と同じDVD並みのSD画質である。
しかし、Wiiでは描画性能を低くしてCPUなどの開発にかかる労力やコストを抑えることで、斬新な直感操作を実現するコントローラーやネットを利用した本体機能の開発に注力することができた。
その結果、発売から2年経過した段階でWiiの圧勝となったらしい。
ニンテンドーDSも同様で、解像度は256×192だった。
当時、台頭した携帯ゲーム機としてPSPがあるが、PSPの解像度は480×272だった。
しかしニンテンドーDSはタッチパネルを採用することでユーザーに驚きを与えてくれた。
この画質や音色は、ゲームを面白くする要素ではないということはゲームボーイの時も証明していた。
1990年10月セガは携帯ゲーム機「ゲームギア」を発売。

色数はファミコンよりも多い、4096色で、オプション品を買う事でテレビ視聴もできることも売りにしていた。
しかし、ふたを開けてみると、アルカリ電池6本を使っても、2~3時間ほどで電池切れになる。
屋外での視認性も悪いし、弁当箱の大きさで電池も含めると500gを超える。
この携帯ゲーム機をユーザーは持ち運びたがらない。
一方で、ポケモンのヒットもあって、ゲームボーイは発売から12年後の2000年に、世界での累計販売台数は1億台になった。

ゲームビジネスの中でのアイデア
ゲーム業界の中でアイデアで勝負するというのは危険だと思う。
それは、ゲームプラットフォームというのは勢いでビジネスをしているからだ。
失敗した時のダメージが非常に大きい。
凄くリスクが大きい。
ユーザーが本当に楽しんでくれるのかというのは出してみるまで分からない。
その中で任天堂は従来の延長上にないものを作っている。
だから凄い。
だから任天堂から目が離せないのかもしれない。
次はどんな楽しい体験を創ってくれるのかとワクワクできるのかもしれない。
何か一発大失敗をしたら、3000億円がなくなるかもしれないビジネスだ。(だから、任天堂はキャッシュをたくさん持っている)
任天堂の前社長、山内溥氏は「僕たちのビジネスというのは、勝ったら天に昇るけど、負けたら地に沈む、だから、それはもう、素晴らしい発想が出てくるのか、こないのか、アイデアにかかっている」と言っていた。
失敗で負う傷が大きいからこそ、彼らのアイデアは研ぎ澄まされている。
人生一寸先が闇だから、運は天に任せ、与えられた仕事に全力で取り組む。
努力は際限ない。でも最後は、天に任せる。だから任天堂。
最後に
ユーザーが楽しいと思うのはどんなことかということを考える。
失敗すると大きな損失を被るから、その状況の中で考え抜いた先に驚きが生まれるのだと知った。
任天堂の本はあまりないので貴重だと思った。

