■読書の記録Note #13 オードリー若様の2冊を読んでみて①▶「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

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オードリーと言う漫才コンビがいるのはご存じでしょうか。

有名なお二人なのでご存じの方も多いと思う。

今回、オードリーのツッコミを担当されている、若様こと、若林正恭氏が書かれた2冊の本を読んでみた。

読んだ本は以下の2冊。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

「ナナメの夕暮れ」

今回は「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」について書く。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」の概要

芸人として忙しくもある仕事の合間でとった5日間の夏休み。

その夏休みで著者はキューバーに行く。

そこで感じた事を書かれている。

ただの旅行記ではない。

日本の日常と比較した海外の風景を著者独自の視点で読み解く。(キューバ以外の場所の旅行記も載っているよ。)


建前と本音のある日本。

和を大切にするという綺麗ごとを並べ、マイノリティを仲間はずれにし、出る杭を打つ日本。

愛想笑い、作り笑いが上手くなる国で誰もが違和感を感じている矛盾のある歪み。

そんな歪みに若林氏の観点からメスを入れる。

そして改めて考えるこの日本に漂う独特の空気感。

作り笑いの集団が作り出したこの居心地の悪い”和”という聞こえの良い空気感が少しでも風通しの良いものになればいいと常に思う。

日本にある違和感

日本は治安はいい国だ。

美しい国だ。

だけど幸せな人は少ない気がする。

その根底にあるのは”和”という名の綺麗ごとが作り出した独特な気色の悪い空気感。

その空気感を若林氏はきちんと感じ取り、言葉にしている。

ぼくの違和感。胸に秘めざるを得ない疑いの念。

ブラック企業が増えたこと。

「スペックが高い」という言葉が人間に使われること。

「超富裕層」「格差」「不寛容社会」。

勝っても負けても居心地が悪い。

いつでもどこでも白々しい。

持ち上げてくるくせに、どこかで足を踏み外すのを待っていそうな目。

祝福しているようで、おもしろくなさげな目。

笑っているようで、目が舌打ちしている。

(お前もそうだろう?)

だから、ぼくは仕事の関係が好きだ。お互いに「良いもの」を作るという共通目標がある関係性には意外と白々しさがない。

そういえばKY(空気の読めない)な人という言葉がいつしか流行った。

飲み会行けないと断るとKYな奴と言われる。

みんなで飲みに行く空気がある事を読めないという事だ。

だけど一緒に酒を飲んでいてまずいと思うやつがその飲み会にいれば行かなくて正解だ。

むしろ、そういうやつが作り出す空気感はとてつもなく居心地が悪い。

人を上から言ったり、陰口を言ったり、自分の安い自慢話をしたり。

そいういうクソみたいな空気を吸いたくないから断るんだ。

だから空気は読めていないわけではない。しっかり読めている。

むしろ、不快に感じている人がいるのに人を上から言ったり、陰口を言ったり、自分の安い自慢話をしたりするようなやつの方が空気を読めていないんじゃないのか。

「ハリボテの美しさ」と「生きていることの美しさ」

カバーニャ要塞内ではよく野良犬を見かけた。野良犬たちは、通りすがりの観光客にこびてエサを貰っていた。

東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。

生きているが死んでいるような人もいれば、死んでもなお人々の中に生き続ける人もいる。

勝ち組と負け組を周りの空気感が評価する。

そう評価されたくないと周りが”定義する”勝ち組になろうとする。

だから金持ちになりたいとか、有名になりたいっていう。

ひどい場合だと親がその価値観を子供に教え込む。

そのうち周りが”定義する”勝ち組になれば幸せになれると錯覚する。

でも、そんな周りが作り上げた”勝ち組”はその空気の外に出ると違和感に変わる。

自分を誤魔化さず、自分らしく生きる方が輝けることに気づく。

無理に楽しもうとしていたのかも

「今日はいろんな所に行ったな。明日も楽しみだな」とベンチに座りながら思い返していると、寝ないでどこかに行きたいという気持ちが湧き上がってきた里、ホテルの部屋にいる時間がもったいないと感じている自分に気がついて驚いた。なぜなら、東京でのぼくは自他共に認めるインドア人間であるからだ。もしかしたら、出不精ではなくて東京に行きたいところがないのかもしれない。

SNSの普及とともにシェアすることが多くなった。

特にインスタグラムでは「映え」という言葉が生まれ、インスタグラムで「いいね」を貰うこと、フォロワーを増やすことに情熱を注ぐ人が増えていった。

「いいね」を貰うために写真写りの良さげなものを食べに行く。

美味しいものを食べるためではなく、「いいね」を貰うために。

楽しむ目的がずれていると知っていながらもやめられない。

出かけるのは「いいね」を貰うためになり、やがて「いいね」中毒者が増える。

東京は「いいね」の種が多い。

だから、東京は本当は行きたいところが多いのではなく、「いいね」の種を手に入れられるところが多いのだろう。


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