■読書の記録Note #25 「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」▶「時間と経験の大切さを嚙み締めた」

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はじめに

僕は割かし倹約家ですが、それは心配性からくるものです。

決してお金持ちになりたいということではないです。

でも節約しすぎるのもどうかと思うようになっています。

そしてたどり着いたのがコスパが重要性でした。

より質の良い自己投資というものであったり、費用対効果の高い経験というものにとても惹かれています。

そして今回この本を手に取りました。

「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」

この本のテーマは童話「アリとキリギリス」のアリに焦点を当てています。

つまり、アリのようにいつ楽しい時間を過ごすのかもわからずに、短い人生を奴隷のように働いて過ごして死んでいっていいのかということです。

お金だけたくさん抱えて死んでいく事は無いようにしたいですね。そんな思いを持って読みました。

この本のテーマについて

この本の主張は以下です。

金を無駄にするのを恐れて機会を逃すのはナンセンス。

金を浪費する事より、人生を無駄にしてしまうことのほうが、はるかに大きな問題ではないだろうか。

じゃあどうすればよいかですが、この本には以下のようなことを大切にするのだとに書かれています。

大切なのは自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うこと。

当然、それは人によって違う。

しかし、何に自分が幸せを感じ、どんな経験に金を使うのが有益化を判断するのは難しく、それは、人生を通じて変わっていく。

よって時間と金を最大限に活かすにはタイミングが大事。

人生の充実感を高めるのは「そのときどきにふさわしい経験」

時間と金という限りある資源を「いつ、何に使うか」

人生における幸せとは個々人が異なっています。

そして個々人で見てもその幸せややりたいことはその人の人生の時間と共に変化していく事言うことです。

だから、今できること、今やっておきたいことを意識するということが大切になってきます。

次はこの本の中で警鐘が鳴らされている部分に焦点を当てます。

アリであることに目を向けすぎていることを辞めるように勧めています。

あなたはアリになっているかも

お金を頑張って稼げばいいってものではありません。

でもお金は数字で表されるので多い方が良いと言いやすい指標です。

しかし、それにとらわれ過ぎるといけません。

そして、それにとらわれ過ぎている人も少なくありません。

以下、この本に書かれていた内容です。

人生はテレビゲームと違って、果てしなく高スコアを目指せばいいわけではない。

しかし、そんなふうに生きている人は多い。

得た富を最大限に活かす方法を真剣に考えず、ただひたすらにもっと稼ごうとし、今、何ができるかを考える事から目を背けている。

いつ死が訪れるかもわからないのに。

お金という指標に対して、この本では「ライフエネルギー」という指標について書かれていた。

このライフエネルギーを意識すれば、仕事に時間を使うことへの意識、そして、ものにお金を払う時の意識が大きく変わると思います。

お金ではなく時間を軸に考えているという印象を受けます。

仕事で得た金はそれを稼ぐために費やしたライフエネルギーの量を表している。

給料の額は関係ない。(1時間働いて稼いだ8ドルであれ20ドルであれ、それを使うことは、1時間分のライフエネルギーを使用したことになる)

よって仕事はライフエネルギーを奪い、代わりにお札という紙切れに変えているだけ。

ものを買う際の考え方が変わる(店でおしゃれなシャツを見かけたら、値段を確認し「ダメだ、このシャツを買うために2時間も働けないとなる」)

では何にお金を使っていけばよいのでしょうか。

それは「経験」です。

お金は経験に使うべき

💰

お金は経験に使うべきだとこの本では述べています。

節約ばかりしていると、そのときにしかできない経験をするチャンスを失う。

その結果、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。

人生は経験の合計だから。

人生は経験の合計だからこそ、その経験のためにお金を使っていくのですね。

そしてこんなことも書いてありました。

人生は経験の合計。

自分自身が誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、一生に一度の経験の合計によって決まる。

最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさがどれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる。

だからどんな経験をしたいかを真剣に考え、それを実現させるための計画を立てるべき。

そうしないと、社会が敷いたレールの上をただ進むだけの人生になり、いつか死を迎えるとき振り返った道のりは自分自身が選び取ったものではない。

人生最後の日に、満足のいく経験に満ちた人生を送れなかった気づいた時の後悔がどれほど大きいかを想像すべきだ。

「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出作り。最後に残るのは、結局それだけだから。」

はい、僕がこの本でもっとも強く主張していると感じたのはこの部分です。

「人生で一番大事なことは思い出作り」だということです。

そのために、今どんな経験がしたいかを真剣に考えることが大事になってきます。

どうな経験をしたいかを考え、それを実現するためにお金を使い、そして経験を通して思い出を作っていく。

そして、人生のその時その時でできる経験を最大限にすることです。

「どの年齢で、どれくらい金を稼ぎ、どれくらい楽しい経験に金を費やせるか」が重要です。

大切なのは「人生の最適化」です。

そのために使う金をどうやって手に入れたかは問題ではないですね。

好きな仕事をして稼いだものであろうとなかろうと、いったん金を手に入れたら、あとはそれをどれだけ賢く使うかが問題になってきます。

そしてお金を賢く使った経験は、尽きることない「記憶の配当」を与えてくれるわけです。

反論に対する主張

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さて、勿論、お金をバンバン経験に使えという主張には、当然、そんなことをしていたら、この先、もし何かあった時にどうするんだ?という反論が出てくると思います。

老後の蓄えが無くなったら、老体に鞭打って働かなくてはならないじゃないかとか。

かく言う僕も極度の心配性なのでその気持ちは分かります。

そんな心配性な僕らに対してこの本ではこのように書いてありました。

もちろん、老後の備えは必要。だが、老後で何よりも価値が高まるのは思い出。

だからできるだけ早く経験に十分な投資をするべき。

経験への投資が早ければ早いほど、記憶の配当はたくさん手に入る。

20代に何かを経験すれば、30代で経験したのに比べて長い期間、記憶の配当を得られ続ける。

逆に、死の間際で何かを経験しても、貰える記憶の配当は少なくなる。

そうなんです、老後に価値が高くなるのは思い出であり、その思い出を手に入れるための経験を逃すことこそがリスクだという主張をしています。

なぜなら経験は「記憶の配当」であり、「記憶の配当」早い段階で手に入れれば入れるほど、長期にわたって得られ続けられるからです。

健康に関しても同様です。

年を重ねていけば、病気になるリスクも当然増えていきます。

でも、将来、医療費を病気の「治療」に使うより、健康に保つための「予防」に今お金を使う方がはるかに賢明です。

がむしゃらに働いて病気にでもなったら元もこうもないです。

ちなみに、この本では老後の資産については「毎年の生活費×残りの年数×70%」を勧めています。

病床に伏して身動きもとれなくなった状態で過ごす数週間のために、健康で活力に満ちた時間を何年も費やしたことになるわけですから。

だからこそ、限られた時間とエネルギーをどう使うべきか。もっと真剣に考えるべきなんです。

そして大事なのが、今しかできない経験(価値のあるものだけ)への支出と、将来のための貯蓄の適切なバランスをとることですね。

何でもかんでも欲望のままにお金を払うだけだとそれは当然頭の悪い行動なわけで、バランスを取ることがとても大事になってきます。

貯蓄の割合は若いほど低くなるようにするべきで、人生の残り時間によって、今を楽しむことと将来に備えることのバランスを最適化していくわけですね。

経験とお金のバランスについてこう書かれていました。

人生のバランスを取り戻すことはできる。まだ健康なうちに、20代でできなかったことにたくさんチャレンジしてみる。若い頃に働きづめではなかった同世代の人よりも経験に重点を置くべき。

どんな瞬間にも、その時にすべき理想的な経験がある。

そう考えて、最適な時間の使い方を模索するべき。

そして同時に健康にはお金を使っていくべきです。

若くて元気なうちからです。

健康は、金よりもはるかに価値が高いのです。

例えば、太っていれば、人生の楽しみを味わうチャンスを逃すことになります。

肥満のために膝が悪い、運動不足で筋力が落ちている、体型にコンプレックスがあるという理由で、ハイキングや水泳、日光浴を避けるようになってしまったりするからです。

機会を失う訳です。

若いうちに健康に投資することについてこう書かれていました。

若い頃に健康に投資する方が、人生全体の充実度は高まる。食生活に気を付け、筋肉を鍛えておけば、できるだけ長く健康を保て、経験も楽しめる。

失われるものを意識すること

さて、ここからは失うものを意識する事について書いていきます。

終わりの時間を意識する事です。

もうじき失われてしまう何かについて考えると、人の幸福度は高まることがあるそうです。

それは何故か。

人は終わりを意識すると、その時間を最大限に活用しようとする意欲が高まるからのようです。

例えば、見知らぬ土地を観光するとき、これと同じような体験をする。最終日までにできるだけ多くの名所を訪れ、アクティビティに積極的に参加しようとしますよね。

遠くに住む友人に会いに出かけた時も同じ。一緒にいられる時間が限られるから、そのひと時を最大限に味わいたいと思いますよね。

でもどうでしょう、自宅にいるときは、いつもの日常がこれからも続いていくのを当然だと考えちゃうわけです。

地元の場所にはいつでも行けると思っているし、友人ともいつでも会えると思ってしまいます。

しかし、実際は、夜は自宅でテレビを見て過ごし、週末も特に何をするわけでもなく無駄にしてしまいます。

つまり、人は豊富で無限にあると感じられる何かに対しては、その価値を低く見積もりがちなわけです。

だけど、実際は人生の各ステップ毎で使える時間はそれほど多くないです。

だからこそ、今この時を最後の時だと思って精一杯生きたいですね。


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